帯は着物と同様に織物で作られるものですが、なかなか一般の人はその織り方にまで注目することがありません。なぜかというと、和服のメインといえばやはり着物で、帯は脇役というイメージがあるからです。
しかし実際は帯にも様々な種類があります。種類によって格が違ったりもするので、格の高い着物には格の高い帯を合わせるといった工夫が必要です。また単純にコーディネイトを考えて帯を合わせることも重要です。
たとえば着物は目立つものにし、帯はあえて落ち着いたものを選んだり、あるいは逆に着物は落ち着いたもので帯は目立つものを選んだりすることで、帯をアクセントに使うことができます。
帯の模様にも種類があり、たとえば全通や六通、お太鼓柄などがあります。
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目次
帯の産地は大きく分けると3つ
帯の産地は大きく分けると福岡県の博多、京都府の西陣、群馬県の桐生の3つです。もちろんこれら以外にも様々な地域で帯が作られているのですが、日本三大産地として広く認められているのはこの3地域となります。
博多は元は九州北部筑前国であり、現在は福岡県福岡市の地域となっています。博多湾に接する都市で、大昔から存在し、繁栄していった背景を持ちます。ちなみに行政区である博多区とは同義ではありません。
西陣は京都府京都市の行政区である上京区~北区にかけての地域を指す言葉です。「西陣区」という行政区域はないので注意しましょう。
桐生は群馬県の東部にある市です。行政区域として存在するので、他の2つの産地と比べて分かりやすいです。
博多(福岡)「博多織」
福岡県福岡市の博多は、織物に限らず様々な面で栄える地域ですが、「博多織」も忘れてはならない特産物です。江戸時代に筑前国福岡藩初代藩主黒田長政が徳川幕府に献上したこともある由緒正しい帯です。
徳川将軍に献上されるようになってからは「博多献上」、「献上博多」、「献上柄」という別名で呼ばれるようにもなりました。男帯なら角帯、女帯なら単帯などがあります。
もともとは博多地域のみで生産されていましたが、近年では福岡市周辺でも生産されるようになっています。経済産業大臣指定の伝統的工芸品で、仏具である独鈷(とっこ)をあしらった模様が有名です。
京都「西陣」:日本一生産量が多い
京都府京都市の西陣は織物産業が活発な地域です。この地域で織られる織物は「西陣織」といいます。日本一生産量が多い地域で、流通している帯のほとんどは西陣で生産されたものとすら言われるほどです。
有名なのはフォーマルな場に着けていく金糸・銀糸を使ったきらびやかな袋帯で、他にも名古屋帯など幅広く作られています。高級品ですが、昔ながらの手機で作られる帯も数多くあります。
西陣における織物産業は、歴史をたどると5世紀頃から始まります。平安時代になると織物職人が西陣の一部の地域に集まるようになり、独自の発展を見せ始めます。この時、「大宮の絹」や「大舎人の綾」といった織物が生産されました。
西陣織は完成までに多くの工程があるため、多くは分業で複数の専門家がそれぞれの工程を担っています。一般的には下準備として製紋、原料準備、機準備、それから製織、仕上げの工程に分かれます。
群馬「桐生」
群馬県の桐生市では「桐生織」という奈良時代から続く絹織物を特産品としています。「西陣織」と並べて語られることが多い伝統的な織物であり、桐生市にはそれを裏付けるように歴史的な建造物が多く残っています。
桐生織の特徴は交織で機械織をしている点です。交織というのは複数種類の糸を経糸・緯糸に織り交ぜるやり方のことで、基本は絹糸とし、他に綿糸などを使います。
それから全通と六通の名古屋帯が多いです。全通というのは帯の全体を通して模様をつけたもので、しっかり柄付けしている分、厚みがあります。
全通は帯の模様の中で最も格が高いです。また六通というのは帯の全体のうち6割程度に柄がついているものを指します。
帯の織り一覧まとめ
帯の織りの種類は非常に数が多いので、それぞれを一覧で見て違いを知ることが大切です。特に西陣織りは同じ西陣織りでも様々な種類があり、それぞれ組織の出来方や辿ってきた歴史が異なります。
西陣織りは多品種少量生産の先染紋織物です。日本の帯の多くはこの西陣織りに該当するので、西陣織りのことを詳しく知れば、日本の帯の大体を網羅することができます。
(ここから以下の情報は西陣織工業組合「西陣織の品種」を参考に書いていきます。)
綴(つづれ)
綴は平織に近い織りです。緯糸で模様をつけることから、経糸の数倍の密度を持つ緯糸を使い、経糸を覆うように織ります。そのため、出来上がった生地の表面に見えるのは緯糸のみです。
模様をつける際はジャカード(自動織機)に頼らず、部分ごとに模様を織っていきます。そのため、無地のところ以外は全体に緯糸が通らない構造になっており、模様部分の糸と糸の間には隙間があります。
綴を織る職人は爪をギザギザにし、糸を掻き寄せやすくしています。非常に地道な作業になるので、複雑な模様をつける時は1日に1cmしか織れないこともあります。
綴はもともと紀元前から織られている織物で、西陣のものは江戸時代中期から織られるようになりました。
経錦(たてにしき)
経錦は「経」という名前がついていることからも分かるように、経糸で紋様が描かれている織物です。使用する経糸の数は使用したい色の数によります。たとえば3色の紋様を出したければ、3本の別の色の経糸を1組にして使います。
使用する色が多いと経糸の数が増えすぎる上に扱いも難しくなるので、色の数は限られます。それだけに経錦は経糸が二重になっているものが多いですが、例外的に四重、六重のものもあります。
経錦の発祥ははっきりとは分かっていないものの、千二百年以上前からあったという説があります。日本での歴史も古く、飛鳥時代の遺品に残っているほどです。中国から伝わったとされますが、その年代もはっきりとは分かっていません。
緯錦(ぬきにしき)
緯錦は「緯」という語がつけられていることからも分かるように、緯糸で紋様を描いた織物のことです。経錦の対となる錦ですが、経錦は織るのが難しかったため、緯錦が普及していくとともに衰退していった背景があります。
そもそも錦とは何かというと、複数の種類の鮮やかな色の糸を使って模様をつけた織物の総称を指します。華やかなイメージが強い織物で、紋様の出し方によっては固有名がつくこともあります。
日本では奈良時代から発展し、平安時代を経て糸錦や倭錦、唐錦など種類が細分化されていきました。ちなみに奈良時代と平安時代では緯錦の糸づかいが異なり、そのことからも錦の多様な変化が読み取れます。
糸錦(いとにしき)
糸錦は金糸や銀糸、さらには他の様々な色糸を使って模様を表した錦の代表格です。3枚綾を通常地にし、浮織(緯糸を浮かす織り方)や6枚綾で模様を表現しています。
3枚綾は3本の経緯糸で構成される組織で、6枚綾は6本の経緯糸で構成される組織のことです。糸錦の歴史は天正年間から始まり、中国から伝わって西陣で織られるようになったとされています。
しかし、搦み糸で生地の表面に模様を出す糸(絵緯糸)を抑えて織り上げる錦の形になったのは江戸時代になってからと考えられています。この時、帯地にも使われるようになりました。
ちなみに糸錦は西陣と同じ三大織物産地である群馬県の桐生市でも生産されています。
佐賀錦(さがにしき)
佐賀錦は佐賀県鹿島市周辺(当時は肥前国鹿島藩)で伝わっていた織物です。経糸に箔糸という金銀箔を和紙に貼って切った糸を、緯糸に絹糸を使います。織る時に織機を使わないのが特徴です。
織る時は織り台という台を使い、経糸をかけてから杼(糸をくぐらせる道具)に近い針、竹べらを用いて織り上げていきます。錦である分、一定の華やかさがありますが、和紙を使っていることから他の錦にはない独特の風合いもあります。
帯地にも用いられますが、他にも草履や財布、バッグなど、様々な小物の生産に役立てられています。佐賀錦は比較的錦の中では新しいもので、文政年間にその祖があったとされています。
緞子(どんす)
織物の代表的な組織に朱子織というものがあります。朱子織は経糸と緯糸をそれぞれ5本ずつ以上使い、糸が交差してできる組織点を少なく、なおかつ分散させ、目立たないようにした織り方です。
経糸と緯糸のどちらか一方の浮きが少ないことから、その糸は生地の表面に表われません。
経糸と緯糸をそれぞれ5本ずつ使った朱子織で地と紋様を織ったのが緞子です。生地の強度は強くありませんが、厚手で光沢感があります。
緞子は中国から鎌倉時代に伝わり、室町時代には活発に輸入されていた歴史があります。この時代周辺に中国から伝わった高級絹織物は「名物裂」と呼ばれますが、緞子もその1つとして日本の織物に大きな影響を与えています。
朱珍(しゅちん)
(画像出典:西陣)
朱珍は朱子織に近い織物です。無地の糸に加え、様々な色糸を使い、紋様を浮き出させる手法で織り上げられます。女帯に使われることが多いです。
朱子織は組織が5枚か8枚になっていることが多いですが、もともと朱子織は「八糸緞」、朱珍は「七糸緞」と呼ばれていました。緞子との違いは、無地の糸を生地の紋様を表わすのに使わないことです。
朱珍は中国の織物を参考に日本で織られるようになった織物ですが、その始まりは室町時代からとされています。そのため、日本にとってそこまで歴史が古い織物というわけではありません。
しかし、その艶があって色彩豊かな美しさはどんどん人々の人気を博し、江戸時代になってからは女帯に欠かせないものになっていきました。
金襴(きんらん)
(画像出典:西陣)
金襴は金糸ですべての紋様を織り上げた織物で、錦の一種です。ちなみに金糸ではなく銀糸で織り上げたものは銀襴といいます。帯の他に僧衣や掛け軸、ひな人形などに用いられます。
日本に伝わったのは室町時代で、当初は「織金(しょくきん)」という名称でした。中国では禅僧の錦の袈裟を「金襴衣」と表記しており、当時輸入したその金襴衣に金糸が使われていたことから「金襴」という名称に変わりました。
金襴は金糸で紋様をつけられていることからも分かるように豪華絢爛で最高の格式をもっています。日本では室町時代に織られ始め、西陣では江戸時代に織られ始めた歴史があります。西陣では改良が重ねられ、「西陣織金襴」として結実しました。
縮緬(ちりめん)
縮緬は撚りをかけていない生糸を経糸に使い、強く撚りをかけた強撚糸を緯糸に使って織り上げられた織物です。織り上げた後は染める前に高温で精錬し、糸の撚りが戻る作用を利用して生地の表面にしわを出します。
縮緬は京都府の丹波、滋賀県の長浜が代表的な産地です。丹波で織られたものは丹波縮緬、長浜で織られたものは浜縮緬といいます。それから福井県や新潟県でも縮緬は活発に生産されています。
縮緬は絹織物のイメージが強いですが、近年はポリエステルやレーヨンといった繊維も使われるようになりました。縮緬はもともと天正年間に中国から伝わり、西陣や桐生に広がった歴史があります。
塩瀬(しおぜ)
塩瀬は糸と糸の間の隙間が小さく、厚手で感触がつるりとしている織物です。生地を染め、刺繍で柄をつけた帯が有名です。経糸と緯糸の浮きで柄をつけたものは「紋塩瀬」と呼ばれます。
絹織物ですが、近年はレーヨンといった人造繊維も使われています。また帯の他に羽織、半襟、袱紗などにも用いられます。塩瀬は羽二重の一種で、新潟県を主な産地としています。
生地に張りがあり、気持ち良く帯が締まる特徴があります。名古屋帯で、ちょっとした外出の時にさりげなくおしゃれするのに最適です。
保温性が高い生地なので、9月の衣替えから5月まで、特に暑い時期を除いて着続けられる便利さがあります。
博多織り
博多織りは太い緯糸を経糸で覆うようにして織り上げられた織物です。昔から織られているのは献博多で、他にも現代になって織られるようになった紋博多があります。生地の独特な模様と風合い、光沢感が特徴です。
博多織りの品目のうちの1つである献上・変り献上は先染めか先練りした絹糸で織っていきます。平織、綾織、朱子織のいずれかで地組織をつくり、緯糸で文様をつけます。
平博多という品目では先染めか先練りした絹糸で、生地の表面に畝の文様を出す縦畝織(たてうねおり)で地組織をつくります。緯糸は手投杼(てなげひ)、引杼(ひきび)、追杼(おいび)という方式で織り上げます。
これら以外にも様々な博多織りの品目があります。
唐織(からおり)
西暦618年~907年に中国の王朝だった唐の伝統的な織物を参考に日本で独自に発展したものであり、それにならって「唐織」という名前がつけられました。
地組織は綾織りで織られ、文様は色糸で縫い取ることで表しています。ふくらみのある風合いが特徴です。
唐織はもともと中国から渡ってきた織物すべてを指す言葉でした。それがいつからか能装束の織物に指す言葉に変わり、織物の技法の一種として扱われるようになった背景があります。
地組織は3枚綾(西陣では錦地という)で、緯糸二越に絵緯糸一越を挟んで織り上げていきます。絵緯糸は太くてあまり撚りのかけていないものを使い、浮かせて柄を表わします。
紗織り(しゃおり)
紗織りは夏の織物の代表格で、網のように透けて見える組織が特徴です。通気性が高いので、見た目が涼しげなだけでなく、実際に暑さをやわらげる効果があります。柄を織り上げて作られる紋紗や刺繍で柄を表わしたものなどがあります。
織り方は搦み織りで、2本の経糸をよじって太くしたものを緯糸とからめて織り上げます。これにより、生地の目が粗くなり、糸と糸の間に隙間ができるのです。
経糸・緯糸ともに絹糸が使われることが多いですが、近年はレーヨンや合繊、アセテートなども素材に採用されています。また帯だけでなく、洋服やカーテンにも紗織りは利用されます。
絽織り(ろおり)
絽織りは紗織りと同じく夏の織物によく使われます。軽くて扱いやすく、通気性が高いのが特徴で、特に染め帯、帯揚げに利用されることが多いです。
糸と糸の間に隙間があって透け感があり、縦方向に透き目ができるように織ったものを縦絽、横方向に透き目ができるように織ったものを横絽といいます。
他にも様々な分類があり、経糸に撚りをかけた糸を用いる駒絽、撚りをかけない糸(平糸)を用いる平絽などがあります。駒絽はしゃり感があってより通気性がよく涼しい特徴があります。
江戸時代に活発に織られるようになった織物で、紗織りを変形させた構造になっています。緯糸に対して2本の経糸を何本おきに交差させるかで名称が変わります。
羅織り(らおり)
羅織りも紗織り、絽織りと同様に夏の織物に使われます。紗織り、絽織りと比べてより生地の目が粗く、遠くから見てもその透け感がはっきりと分かるほどです。
紗織り、絽織りは経糸2本を使うのに対し、羅織りは3本の経糸を使います。これを絡ませることで網のような見た目を作り出しています。
「羅」は動物を捕まえる時に使う網を指す言葉でしたが、見た目が似ていることから「羅織り」の名称にも使われるようになりました。
羅織りの歴史は非常に古く、中国から伝わったのは4世紀の前半で、日本では飛鳥時代から生産され始めています。応仁の乱をきっかけに一時は継承が途絶えていましたが、西陣などで復興しています。
地方によって異なる特徴があり、見分けが付きにくくなっている
着物の帯の織りを作るにはまず経糸・緯糸を作り、それらの糸を通し合って織っていきますが、経糸・緯糸の撚り方や生地の織り方は地方によって異なる特徴があります。
またコンピュータに制御された機械で自動的に織る機械織りが普及してからは手織りの織物が少なくなっています。こういった背景から、現代人の目で織物を見分けるのが難しくなってきているのです。
そのため、着物の帯を売る場合はしっかりとした専門知識をもっている買取専門業者に依頼した方が安心です。正しい知識がなければ着物の帯に正しい価格はつけられません。
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まとめ
着物の帯の織り方を気にする方は少ないですが、帯の織り方にも様々なものがあります。その種類によって格や模様、風合いが異なるので、シーンやコーディネイトを考えて着物と合わせる必要があります。
代表的な帯の産地は福岡県の博多、京都府の西陣、群馬県の桐生の3つです。それぞれ博多織り、西陣織り、桐生織りと呼ばれます。特に西陣は日本一の帯生産量を誇る地域で、日本の帯の多くは西陣織りとなっているほどです。
たとえばどのような帯の織りがあるかというと、金糸や銀糸、複数の色糸を使って紋様を織り上げる「錦」という絹織物があります。錦は豪華絢爛の代名詞ともいえるもので、織物の中でも特に高級で格式が高いです。
錦には経錦や緯錦、糸錦、佐賀錦など様々な種類があります。また金糸で柄をつける金襴も錦の一種です。
他にも朱子織の緞子、朱珍、もじり織りの夏の織物である紗織り、絽織り、羅織りといったものがあります。
これらの帯の織りは地域によって糸の撚り方や織り方が違います。また機械織りが多いことから素人目ではなかなか見分けがつきません。そのため、着物の帯を売る場合は着物買取専門業者に依頼した方が安心です。