洋服の場合、どのシーンではどの装いがふさわしいかを明確に区別した「ドレスコード(服装規定)」が存在しますが、和装、つまり日本の着物の場合にはそれほどハッキリとした区別はありません。
とは言え、日本社会においても普段着と正式な場で着るものとが混同されることは勿論ありませんよね。従って着物であっても「格」が存在し、それによってどのシーンで着るのがふさわしいのかを判断することができます。
経済産業省「
和装振興研究会報告書」によると、どういう時にどのような着物を選べよいか(格)がわからないと答えた20代から40代の女性は全体の約20%弱でした。
例えば日本語に「襟を正す」という表現がありますが、これは着崩れした着物を正すことで気持ちを引き締めるという仕草から派生した言葉です。着るものによって本人を厳粛な気持ちにさせることもできれば、逆にリラックスさせることもできることを物語っています。
従って和装においても正装・準礼装・普段着と、それぞれが持つ「格」を理解し、シーンに合わせて装うことは社会人としての常識であると同時に、着る本人の気持ちをそれぞれのシーンにふさわしいものにするという意義もあるのです。
これは男性の着物であっても同じです。男性の和装は女性ほど種類が多くありませんが、礼装と準礼装、普段着の区別がありますから、正しく理解しておく必要があります。
目次
女性よりも少ないが男性着物にも「格」は存在する
女性の着物の場合、黒留袖・色留袖・振袖・訪問着・付け下げ・小紋・紬…と非常に種類が多く、既婚女性か未婚女性かによっても着るものが違ってきます。
一方男性の着物にはそれほどの種類がなく、黒紋付き・色紋付き・紬、それに羽織を合わせるかどうか、といった程度しかありません。
しかしこれらにそれぞれ「格」が付されており、この「格」は紋や絵羽、生地(素材)、染色法といった要素とその組み合わせによって決まります。
それでそれぞれの「格」に従ってシーン別に着分けましょう。着分けの区分は大きく分けると、
これら3つになります。
シーン別に合わせたい!着物の格を徹底解説
ここでは男性の着物の格を3つに分類して説明します。
- 礼装=格式のある式典・冠婚葬祭の主賓
- 準礼装=余所行き・お洒落着
- 普段着=日常的に着るもの
前述の通り男性の着物は女性ほど種類が多くありませんが、女性の着物と共通して言えるのは、染めの着物(生地を織ってから染めたもの)は織りの着物(先に染めてから生地を織ったもの)より格が高いと見なされることです。
フォーマルな場の着物
男女共に一般に「着物の着方」「着物のルール」として紹介されているものは、基本的にフォーマルな場で着る着物の場合に当てはまるものです。
またそれらの中には非常に細かく厳しく定められているものもありますが、現代ではそこまで堅苦しく考える必要はないでしょう。
とは言え格式の高い式典や家族・近い親族の冠婚葬祭などでは、やはりそれにふさわしい着物を相応しい方法で身に着ける必要があります。
第一礼装(婚礼や公的な儀式に切られる最も格調が高い礼装着)
男女共に、着物の第一礼装は必ず紋入りであることが第一条件です。
着物・羽織・袴の全てに紋が入っており、紋の数によってその中でも格の高さが変わってきます。
また紋を入れる技法によっても格が異なってきます。最も格が高いのは「染め抜き紋」と呼ばれるもので、生地を染め抜いて紋の形を入れます。
染め方にも2通りがあり、紋の形を白く染め抜いたものは「表紋」と呼ばれより正式なものに、紋の輪郭を白く染め出したものは「陰紋」と呼ばれ略礼装用のものに使用されます。
「縫い紋」は染め抜き紋の次に格の高い紋で、黒や白、金、銀などの糸を使って刺繍したものです。
紋を入れる技法としては最も格が低いのは「貼り付け紋」で、紋の形を染色によって入れた別の布を着物に張り付けるタイプのものです。
かつては紋とは家の象徴であり重要なものでしたが、現在ではそのデザインや大きさに特に意味はなく、紋が付いているかどうか、またその数や紋を入れる技法で格の違いが出てくると考えておいて良いでしょう。
黒羽二重五つ紋付
正装の条件である「紋付羽織袴」の中でも最も格式が高く、冠婚葬祭や叙勲などのシーンで着用できるのが、「黒羽二重五つ紋」です。
「羽二重」は経糸と緯糸を交互に交差させる「平織り」と呼ばれる織り方をしたもので、これを黒に染める際に紋が入る部分を白い円にして残した状態で染め上げます。
紋はその名の通り最高格の5つで、背中の中心と両胸、両後ろ袖に入れられます。
黒羽二重五つ紋のような黒紋付きを着る場合には、白羽二重の下着を着用するのが本来の姿ですが、現在では白の比翼仕立てで、裏地や襦袢の半衿、羽織紐、足袋などを白で揃えるようにすれば問題ありません。
そもそもこの黒羽二重五つ紋が「礼服」と定められたのは明治時代で、西洋の公式なパーティに出席する際に何を「礼服」とするかが問題になったためと言われています。
洋装ではブラックがフォーマルと見なされていたため、これに合わせて着物もフォーマルは黒紋付きに統一されたのだそうです。
色紋付
黒紋付きと比べると格が下がりますが、黒以外の色、グレーや茶、紺などの無地に染め上げた「色紋付」もフォーマルなシーンに着用できます。
生地は羽二重か紋綸子、縮緬を使用し、染め抜き五つ紋であれば結婚式の花婿の装いに相応しいものになります。
ただし花嫁が白無垢・色打掛・黒引き振袖・大振袖などの正礼装の場合であれば、色紋付はそれと比べて格下になってしまうためNGです。
色紋付は黒紋付きと比べると「略礼装」、女性の着物で言えば色留袖と同格なので、披露宴のお色直しや二次会などで着用しましょう。
また五つ紋と比べると更に格が下がりますが、それほど格式を必要とする場でなければ三つ紋でも構いません。三つ紋の場合は背中の中心と両後ろ袖に紋が入ります。
色付紋も足袋は白が無難ですが、羽織紐や半衿、帯などは着物の色に合わせて好きな色を選ぶと良いでしょう。全体的に落ち着きのある雰囲気になれば問題ありません。
カジュアルな場の着物や外出着(しゃれ着)
次に準礼装と普段着について考えてみましょう。
ここで言う準礼装とは披露宴や二次会などではなく、もっとカジュアルなシーン、気軽なパーティやお正月など、ちょっとオシャレをしたい時に着る、洋服で言えばスーツに相当する和装です。
もう1つの「普段着」は、日常着、つまり洋服で言うところのTシャツやポロシャツなどと同じです。ですから堅苦しく考える必要はなく、下着にタートルネックを着るなど着崩したお洒落を楽しむのも良いでしょう。
お召一つ紋付
通常、着物は先に染めてから生地を織る「織物」の方が、織ってから染める「染物」より格下になるのですが、例外的に男性の場合「お召」と呼ばれる織物は各上扱いになり、準礼装として使用することができます。
お召は縮緬に手法を加えて作られる絹織物で、ハリがある為着崩れやシワになりにくいという特徴があり、そのため裾さばきがよく動きやすいことからも人気があります。
この「お召」と言う名前はかつて江戸時代に11代将軍・徳川家斉が好んで「着ていた=お召しになっていた」ことからそう呼ばれるようになったとも言われています。
「お召一つ紋」は、お召の着物の背中に紋が1つ入ったもので、紋を入れることで更に格があがり女性の色無地紋付きや訪問着と同格になります。
従ってあらたまった場への訪問や結婚式の招待客等の場合に相応しい装いになります。
紬
「紬」と呼ばれる真綿から手で紡ぎ出した糸で織った織物のことですが、中には大島紬のように生糸を使って織るものもあり、また作られる地域によってそれぞれ違った特色があります。
例えば前述の大島紬は島の自然を絣で表現した模様で艶感がありますし、伝統工芸品に指定されている「牛首紬」は2匹の蚕によって作られる玉繭から直接糸を紡ぎ、張りのある風合いに仕上がっていて大変丈夫であるという特徴があります。
紬は江戸時代、庶民の普段着として着用されていたため、今でも基本的には日常着扱いとなり、公式の場では着用できません。
従って紋を入れる必要もなく、外出先によっては袴や羽織を着用しない「着流し」でも構いません。
ただ、最近では大島紬のように見た目に高級感のある絵羽模様のものなどは準礼服として着用されることも多くなりました。
ウール
着物の中でもかなりリーズナブルな部類に入るウールは、気軽に着物に挑戦してみたいという人にもピッタリ。年齢を問わず着物初心者も始めやすい素材です。
ウールの着物と言えば、かつては厚くて重い生地が多かったのですが、今では紬のような風合いのものも多くなり、見た目にはウール素材のように見えないお洒落な柄も増えてきました。
何よりシワになりにくいですし、洗濯できるため着用頻度が高くその分汚れやすい普段着にピッタリです。
ただウールは虫が付きやすいため、着用せずに長く放っておくことはお勧めできません。「普段着」ですから日常的に着用しましょう。
暖かい素材なので秋~冬~春先にかけて使用できます。しばらく保管する場合は防虫剤を多めに入れておいてください。
上布
(画像出典:http://ihcsacafe.ihcsa.or.jp/news/echigojofu/)
「上布」とは江戸時代に藩主や幕府に上納する「上質な布」「上等の布」という意味で付けられた名前で、細い麻糸を平織りして作られる麻織物のことです。
汗を吸収・発散しやすく、肌にまとわりつくこともなく冷たい感触なので、夏の着物生地としては最もポピュラーなものでしょう。夏祭りなどに着る浴衣も上布で作られていることが多いです。
上布の生産地・新潟の「雪さらし」で有名な「越後上布」は、その伝統的な工法が「重要無形文化財」に指定されており、高品質なものなら「普段着」とは思えないような値段のものもあります。
しかし着物の「格」としてはあくまで「普段着」になるため、基本的には公式の場で着るものではありません。
上布は見た目にも体感的にも涼しくて夏向きなのですが、薄物で透けて見えるため体型に合った仕立てが必要で、着方にも多少工夫が必要です。
またシワになりやすいので、畳むときには霧を吹きかけてから畳みましょう。
【例外】お召しは格が上なので色紋付と同等の準礼装として着用可能
先に「お召一つ紋」でも触れましたが、「お召」とは先に糸を染めてから織りあげる「織物」の1つであり、本来「格」で言えば織りあげた後に染める「染物」より格下扱いになるはずです。
実際、女性の「お召」は基本的に「紬」と同様普段着扱いになるのですが、無地に紋織のお召になると略礼装としても着用できます。
一方男性のお召しは11代将軍徳川家斉が好んで着たことや、見た目にも品格があることから、元々準礼装という位置づけになります。織物の中では最高格と言って差し支えないでしょう。
この「お召し」と呼ばれる条件は3つで、
- 糸を先に染めた「織物」であること
- 経糸と緯糸を交互に織る「平織り」の中でも、緯糸に「御召抜緯」と呼ばれる1mに2500~3000回転をかけた強撚糸を使用していること
- 同じ回転数の右撚り、そして左撚りの御召緯を、交互に同じ数ずつ織ること
これにより、お召はコシが強く表面に「シボ」と呼ばれる凹凸があり、かつ紬より目が結んでいてしっとりと馴染む、独特の風合があります。
着崩れしにくく裾裁きが良いため、初心者でも着やすい着物です。
近年は七面倒な決まり事が緩和されつつある(市場調査結果)
ある和服に対する意識調査によると、「着物を着たことがあるか」という質問に対しては女性は20代以上はほぼ全員、男性の場合は25%。「ではいつ着た(着る)のか」という問いに対しては、全ての人に共通して「何らかの式典時にのみ」という返答が見られました。
このように日本人の和服離れが続く一方で、和服姿をお洒落と感じる人も多く、若い女性の和服姿のみならず男性や年配者の和服姿に対してもお洒落・品があるといった印象を受ける人が多いようです。
同調査によると、実際に和服を着てみた感想として、「楽しかった」「緊張感があって気持ちが引きしまる」など好印象を持ったという意見が過半数を占めています。
依然敷居の高い印象のある着物ですが、近年では面倒なしきたりが緩和されて自由な着こなしが許容され始めたこともあり、日常的に着物を着ようという若者も増え始めています。
ネットで安価に購入したり作り帯を利用したり、「格」を無視して着やすいものを選んだりと、着物の「敷居」を低くすることで現代に馴染みやすい「和装」が新たに生まれ始めているようです。
着物特有のしきたりを身につけて自分を高めようとする意識もある
同じ意識調査によると、全体的に着物に対する印象は良いものの、実際には何かの式典以外で着用する気にはなれない理由があります。
- 着付けの方法が分からない・難しい
- 仕舞い方や畳み方など手入れの方法が分からない
- 帯の結び方が分からない・難しい
この3つが主に挙げられていました。
また同調査で行われたアンケートの用紙に、「自国の民族衣装を自分で着ることができないのは日本だけではないだろうか」というコメントが記されていたとのこと。
確かに昔の日本人は毎日着物を着ていたにもかかわらず、現代の日本人は着方や「格」などのしきたりも含め、着物についての知識が非常に乏しいのが現実です。
逆に言えば着物の着付けやしきたりについての知識を身に着けている人は「自国の伝統文化を熟知し継承している人」であり、日本人としての「スキル」を持つ人ということもできます。
このため和装の面倒なしきたりを除外しようという動きとは対照的に、積極的にそれらのしきたりを身に着け自己を高めようとする意識も見られたとのことです。(参照:日常的着物着用者(女性)の着物着用実践のありかたと着物に対する意識)
最低限のTPOと格の違いを覚えよう
「面倒なしきたりを除いてもっと身近な存在にすることで、日本人の着物離れに歯止めをかけよう」と言う考え方もあれば、「日本の伝統文化を正しく継承していくべき」と言う考え方もあり、どちらが正しいと簡単に結論付けることはできません。
この法人はわが国の優れた民族衣裳および、その染・織・文様・造形等に関する知識を普及して一般の理解を深めます。併せて、民族衣裳の伝統技術の伝承および研究を奨励し、もってわが国文化の発展に寄与することを目的とします。
上記のように、着物の一般理解を深めるための協会もあり、様々な団体が着物を知識を広めようと活動しています。「着物は気軽に着れるもの」という認識が広まれば確実に若い方にも着物の魅力が伝わるはずです。
しかしことフォーマルな場での装いとしては、やはりそれに相応しい着物を身に着けるべきでしょう。どんな装いをするかはその場に対してどれほど敬意を示しているかを表すものだからです。
例えば結婚式に招待された時に、Tシャツとジーンズで出席する人はいませんよね。
それは花婿・花嫁またそのご家族に対して失礼にあたるからです。そうであれば、着物で出席する場合でも「普段着」にあたるものを着るわけにはいきません。
普通の人なら誰も知らないような細かいしきたりまで気にする必要はありませんが、最低限「格」の違いは覚えておき、フォーマルな場ではそれにふさわしいものを選ぶようにしましょう。
まとめ
女性と比べると着用している人を見かけることが非常に少ない男性の着物ですが、それだけに「正装」「準礼装」「普段着」の3つの「格」の違いをきちんと理解して、それぞれのシーンに相応しい装いをしましょう。
「正装」とは冠婚葬祭やあらたまった式典などに着用するもので、黒紋付きが基本。花婿の披露宴用など少しだけ砕けても良いシーンでは色紋付も可能です。
「準礼装」はちょっとしたお出かけ、いわば「お洒落着」にあたります。染物あるいは織物の中でもお召であれば準礼装になります。紋は1つでも入っていればOKです。
「普段着」はその名の通り日常的に着るもので、紋は必要ありません。紬やウール、木綿、麻など自由に素材を選べますし、着流しやインナーにTシャツ・タートルネックなどを着用して、着崩したお洒落を楽しんでも良いでしょう。
現代はデザインも素材も多彩で、かつてないほど自由に着物を楽しめる時代です。
普段着としての着物は堅苦しく考えず、自由に着てみましょう。一方、あらたまった場所への出席に関しては、「格」を意識することで、礼節をわきまえていることを示しましょう。